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《李商隱+錦瑟 日文》由會(huì)員上傳分享,免費(fèi)在線閱讀,更多相關(guān)內(nèi)容在行業(yè)資料-天天文庫(kù)。
1、きんしつはしなごじふげん錦瑟端無くも五十弦,いちげんいっちゅうくゎねん一弦一柱華年を思う。さうせいげうむこてふ莊生の曉夢(mèng)は蝴蝶に迷い,ばうていしゅんしんとけん望帝の春心は杜鵑にたく托す。さうかいつきあきらたま滄海月明かにして珠に涙有り,らんでんひたま藍(lán)田日暖かにして玉はけむりしゃう煙を生ず。こなべ此の情追憶と成るを待つ可けんや,たこすでばうぜん只だ是れ當(dāng)時(shí)より已に惘然。****************◎私感註釈※李商隱:晩唐の詩(shī)人。杜牧、溫庭らとの同時(shí)代人。812年(元和七年)~856年(大中十年)。字は義山。河內(nèi)(現(xiàn)河南?。─稳?。玉溪生とも號(hào)した。
2、獨(dú)自の世界を開いた?!\瑟:立派な瑟(おおごと)。夫婦仲の良いことをいう琴瑟の片方で、かつて妻が奏でた瑟(おおごと)に感じて詠う。悼亡詩(shī)であり、また、官途で不遇を託(かこ)ったことを追憶しての詩(shī)である?!\瑟無端五十弦:(夫婦仲の良いことをいう琴瑟の片方で、かつて妻が奏でた)立派な瑟(おおごと)がわけもなく(悲しげな音色を出す)五十弦の。?無端:何の原因もなく。ゆえなく。わけもなく。端(はし)無く。これというきざしもなく。思いがけなく。はからずも。唐?賈島に『渡桑乾』「客舍并州已十霜,歸心日夜憶咸陽(yáng)。無端更渡桑乾河水,卻望并州是故鄕?!工趣ⅳ?。?五十
3、弦:古代の瑟は五十弦であったが、後に二十五弦と改められたと、琴瑟の起源とともに伝えられている?!菏酚?封禪書』「或曰:『太帝使素女鼓五十弦瑟,悲,帝禁不止,故破其瑟爲(wèi)二十五弦?!弧工趣ⅳ?。作者は大中五年(851年)には妻の王氏を喪っており、その後作者自身が亡くなるまでの七年間のうちにこの詩(shī)を作ったことになる?!幌乙恢既A年:一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)を(見るにつけ)、若く華やいでいた年頃を思い起こさせる。*作者は五十歳を前にした満四十七歳で亡くなっており、詩(shī)を作った當(dāng)時(shí)の年齢である「五十歳」に近づいた感慨を、古琴の「五十弦」に重ねていよ
4、う。?柱:ことじ。琴箏の胴の上に立てて弦を支え、その位置を変えて音調(diào)の高低を調(diào)節(jié)し、発する音を共鳴胴に伝えるための具。?華年:若く華やいでいた年頃。少年?!f生曉夢(mèng)迷蝴蝶:荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢(mèng)で、蝶(ちょう)になり、自分が夢(mèng)で蝶になっているのか、蝶が夢(mèng)で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。?莊生:荘周。荘子。?迷:自分が夢(mèng)で蝶になっているのか、蝶が夢(mèng)で自分になっているのかということで迷う。?蝴蝶:荘周が夢(mèng)の中で蝶になり、夢(mèng)からさめた後、荘周が夢(mèng)を見て蝶になっているのか、蝶が夢(mèng)を見て荘周になっている
5、のか、一體どちらなのか迷った?!呵f子?齊物論』に「昔者莊周夢(mèng)爲(wèi)胡蝶,栩栩然胡蝶也,自喩適志與!不知周也。俄然覺,則籧籧然周也。不知周之夢(mèng)爲(wèi)胡蝶與,胡蝶之夢(mèng)爲(wèi)周與?周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化?!梗ㄎ粽撸à啶罚?、莊周、夢(mèng)に蝴蝶と爲(wèi)り,栩栩然(くくぜん)として蝴蝶なり。自ら喩(=愉(たの))しみて志に適(=敵(かな))へるかな!周たるを知らざる也。俄然として覺(さ)むれば,則(すなは)ち籧籧然(きょきょぜん)として周也。知らず周の夢(mèng)に蝴蝶と爲(wèi)れるか,蝴蝶の夢(mèng)に周と爲(wèi)れるかを?周と蝴蝶とは,則ち必ず分有らん。此(こ)れを之(こ)れ物化と謂ふ。)とある
6、?!鄞盒耐卸霹N:蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。?望帝:蜀の望帝。蜀の開國(guó)伝説によると、周の末に蜀王の杜宇が帝位に即き、望帝と稱した。杜宇(望帝)が死ぬとき、ほととぎすが鳴いたとも、その魂がほととぎすになったともいう。?春心:春を思う心。春を傷(いた)む心。女性(異性)を思う心。?春心托杜鵑:(蜀の望帝が)春を傷(いた)む心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑(ホトトギス)に托す、ということは、作者自身の官途が不遇であって、個(gè)人的にも妻を失った悲しみ
7、にも耽っているさまをいう。?杜鵑:〔とけん;du4juan1●○〕ほととぎす。血を吐きながら悲しげに鳴くという?!鶞婧T旅髦橛袥妫呵啶ず¥嗽陇鳏毪栅椁筏啤⑷唆~は(月の精ともいうべき)真珠の涙をこぼして。曾て、真珠は海中の蚌(はまぐり)から生まれるものと思われた。また蚌(はまぐり)は月と感応しあって、月が満ちれば真珠が円くなり、月が缺ければ真珠も缺けると思われた。また、中秋の名月の時(shí)期になると、蚌は水面に浮かび、口を開いて月光を浴び、月光に感応して真珠が出來るとされた。張衡の『南都賦』に「巨蚌含珠」とある。また、鮫人の涙。南海に住み、水中で機(jī)(はた
8、)を織り、泣くときは真珠の涙をこぼすという。「滄海遺珠」しらたまで我が國(guó)?日本の『萬葉集』中の元興寺の僧が自